2010.09.30 Thu
「才能ではなく、性質です」
「オレ達の旅プロジェクト」とか「大人の部活動」とか各人が好き勝手に呼んでいる水沼慎一郎+高橋督+服部暁典。まず部活動第一段として各人があるテーマの下に書き下ろした曲の持ち寄り試聴が29日に行われた。
しかし服部は先のブログにもエントリーしたとおり、できなかった。かなり高橋督にいじめられたが、とにかく水沼君と督君は過酷な日常業務の合間を縫って書いてきたわけで、書けなかった服部としては言い訳のしようがない。すみませんでした。
ふたりの曲はどちらも素晴しかった。脱帽脱シャツ脱ソックスである。曲の詳細はプロジェクトの全貌をまだ書けないので解説めいたものを書くことは出来ないのだが、素晴しい発想と実行だったとだけ言っておこう。
その後トークセッションと言う名のダラしゃべり大会に移行したのだが、目からウロコが落ちまくる夜だった。同時に長年疑問に思ってきたことがかなり整理された感触がある。デキル人と話すだけでこういう効能もあるのだ。
水沼君は「芸術家は『何コレ?』を提供し続けることが仕事だ」と言う。これも大変わかりやすい。「メロディには興味が無くなった」とも言っていた。服部の立ち位置からは全く発想し得ない言葉である。だけど水沼君のように全方位的に知識もあり実践もある人(彼はその気になれば仕事として歌謡曲でも社歌でも作るし、ゴスペルの伴奏だってする人なのだ)が言うと明快で、かつ尊重したくなる。どうしてそんなに知識を蓄えるのか聞いてみたら「才能じゃないです。知識不足故に誰かとつながるチャンスを逃すのがもったいない。どんな人とでもつながりたいんです。だから才能じゃないです。性質です」。これもわかる。彼はマルチリンガルとしてどんな国に言ってもコミュニケーションが取れる。反対に服部は、言うなれば方言のスペシャリスト。ある1ヶ所(かそれに近い非常に狭い区域)に一生懸命深い穴を掘ろうとしているのかもしれない。善し悪しではなくスタイルの違いである。
高橋督君はニコニコ笑顔で聞いている時間が多かったけど、先のリンクに書いてあるとおり「言葉で表現できないから音楽で表現する」というのは至極全うな思考であり、やはり彼も実践できている人だからそういう言い方にも説得力がある。ふたりと話していてふと頭をよぎるのは「そんなに知っていて、そんなに弾けて、でもまだ満足できないんだなぁ」という諦観というか無常観というか、振り返ることでは達成感を得られるが、その途中は単なるイバラの道みたいな観念である。Pat Methenyも同じようなことを言っていたが。
ともあれ表現者として自分のスタイルを持っている人、持とうと努力している人とのこういう時間は、お金を出しても立ち会うべきである。他にもメロディに囚われることによって生じる不自由とか、知恵熱で夜眠れないかと思うほどだった。結局服部はまだ宿題を提出していないので高橋督に「で、いつまでなら書けるんですか」と笑いながら(しかし目はマジ)締切りを切られた。作らねば。
しかし服部は先のブログにもエントリーしたとおり、できなかった。かなり高橋督にいじめられたが、とにかく水沼君と督君は過酷な日常業務の合間を縫って書いてきたわけで、書けなかった服部としては言い訳のしようがない。すみませんでした。
ふたりの曲はどちらも素晴しかった。脱帽脱シャツ脱ソックスである。曲の詳細はプロジェクトの全貌をまだ書けないので解説めいたものを書くことは出来ないのだが、素晴しい発想と実行だったとだけ言っておこう。
その後トークセッションと言う名のダラしゃべり大会に移行したのだが、目からウロコが落ちまくる夜だった。同時に長年疑問に思ってきたことがかなり整理された感触がある。デキル人と話すだけでこういう効能もあるのだ。
水沼君は「芸術家は『何コレ?』を提供し続けることが仕事だ」と言う。これも大変わかりやすい。「メロディには興味が無くなった」とも言っていた。服部の立ち位置からは全く発想し得ない言葉である。だけど水沼君のように全方位的に知識もあり実践もある人(彼はその気になれば仕事として歌謡曲でも社歌でも作るし、ゴスペルの伴奏だってする人なのだ)が言うと明快で、かつ尊重したくなる。どうしてそんなに知識を蓄えるのか聞いてみたら「才能じゃないです。知識不足故に誰かとつながるチャンスを逃すのがもったいない。どんな人とでもつながりたいんです。だから才能じゃないです。性質です」。これもわかる。彼はマルチリンガルとしてどんな国に言ってもコミュニケーションが取れる。反対に服部は、言うなれば方言のスペシャリスト。ある1ヶ所(かそれに近い非常に狭い区域)に一生懸命深い穴を掘ろうとしているのかもしれない。善し悪しではなくスタイルの違いである。
高橋督君はニコニコ笑顔で聞いている時間が多かったけど、先のリンクに書いてあるとおり「言葉で表現できないから音楽で表現する」というのは至極全うな思考であり、やはり彼も実践できている人だからそういう言い方にも説得力がある。ふたりと話していてふと頭をよぎるのは「そんなに知っていて、そんなに弾けて、でもまだ満足できないんだなぁ」という諦観というか無常観というか、振り返ることでは達成感を得られるが、その途中は単なるイバラの道みたいな観念である。Pat Methenyも同じようなことを言っていたが。
ともあれ表現者として自分のスタイルを持っている人、持とうと努力している人とのこういう時間は、お金を出しても立ち会うべきである。他にもメロディに囚われることによって生じる不自由とか、知恵熱で夜眠れないかと思うほどだった。結局服部はまだ宿題を提出していないので高橋督に「で、いつまでなら書けるんですか」と笑いながら(しかし目はマジ)締切りを切られた。作らねば。
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