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2017.02.13 Mon
地元の小学校の評議委員会/評価委員会というのに参加してきた。学校の先生、PTA関係者はもちろん、町内会長や中学校区学校支援地域本部の方々など小学校の運営に関係ある地域の大人が参集。全学年の授業を参観させていただき、この1年の運営状況の報告を聞き、意見交換をするわけだ。いろいろ忙しくて(平日の午前中にやるもんだから…)今年度は初めての参加だったのだが、とにかく我が団地の小中学校への眼差しのやさしさと厳しさには(大げさでなく)感動する。学校からの運営説明も非常に満足できるものだった。
この暁スタジオレコーディング日記はそういった地域のもろもろではなく、ミュージシャン服部暁典個人のことを書く場なので、この会に出席して得たふたつの考えについて書く。
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ひとつ
ウチんとこの小学校では読書推進に力を入れている。それは大変良いことだが、私は普段から学校教育のなかの美術や音楽の授業も読書と同じように重要視してもらいたいと思っている。小・中・高と12年間を通じて学力劣等生だった自分が人並みな学校生活を送れたのは、唯一、音楽に関してなら人並み以上だというプライドが持てたからだ(若いって素晴らしい)。事は美術・音楽に限らず、いわゆる五教科で点数の良くない子にもスポットライトが当たるような配慮をしてほしいということだ。
ふたつ
私は生業を持っていて、それとは別に音楽をライフワークとしている。今までは今日のような、つまり地域の人やカタギの人が集まる場所では生業に従事する自分を「表の自分」と言ってきた。音楽をやる自分を「裏の自分」として区別していたのだ。だって善良な市民のみなさんにはミュージシャンなんて宇宙人と同義なのだ。要は話が通じないのである。そのことについてこれまで忸怩たる思いがあったのだが、今日の委員会の席上での自己紹介では「私は裏の顔としてPTA会長なんてものをやってますが」と挨拶した。ある意味でこれは嘘偽りのない実感である。そしてそのことを口にした瞬間に「表も裏もないよな」と思った。服部暁典は音楽をやる人間であり、某財団の勤め人であり、団地の人なのだ。なぜそれを区別する必要があるだろうか。実に馬鹿馬鹿しい逡巡を続けてきたものだ。
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| 音楽雑感
| 23:00
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