2014.11.03 Mon
(ごく私的)プリンス論2014#1
私にとってプリンスというミュージシャンは「神」なので、と言うかそんな理由を明記するまでもなく、そもそも中立的な音楽評を私は書けない。個人名義のブログに音楽評を書けるほど私は知識が豊富ではないし、そうする義理もないと思っている。このブログに書いてあることは服部暁典個人の主観なのだ。だからこれから書くことは、とても私的なプリンス礼賛のテキストである。その前提で読むも良し、無視するも良し。いずれにしても、ここから先は読者がプリンスとその音楽について、それなりの知識を持っていることを前提で書く。
1978年のデビューから折々に革新的な変化を遂げてきたプリンスの音楽が、本質的に変わったのは「emancipatin(1996)」だと考える。それはデビュー以来所属アーティストとしての関係を築いていたワーナーブラザーズレコーズと縁を切ったところから、という意味である。「emanci…」はワーナー以外の配信元(結果的にそれはEMIだった)からリリースされることを前提に、1年かけて録り溜めた曲を3枚組に詰め込んだ、まさに解放記念盤。本人が入れたい曲を本人が入れたいように入れたのだろう。かつてワーナーから売り上げに響くから複数枚リリース(2枚組とか3枚組とか)はやめとけとか、「神」などの特定の言葉はエアプレイに影響するから歌詞には使うななど、クリエイティブ上の様々な事象にマーケティング上の事情によるブレーキをかけられた欲求不満が爆発しての離別劇だっただけに、本人にとって「emnaci…」はエポックメイキングな作品だったはずだ。そのことは私も一緒に喜びを分かち合いたい。だがはっきり言って「emanci…」は私には面白いアルバムではなかった。メロディは魅力的な曲が多いが、まるでデモテープレベルのアレンジと演奏ばかりで、少なくとももうちょっと煮詰めた状態で聞かせて欲しいと思った。

emancipation
「emnaci…」はそれでも制作時期の精神状態を考えると、まずリリースされること自体が本人のヒーリングにもつながるのだろうと大目に見たが、続く「Rave Un2 The Joyfantastic(1999)」も同じ匂いのアルバムだったことは、私には大問題だった。1988年に作ったものの発表の機会を待ち続けた伝説のタイトル曲に、ようやく陽の目を見させる機会だと言うのに、今までなら明らかに未発表→ブートレグで流出→マニアだけが知っているような駄作…も含まれていた。つまり各曲がチグハグなのだ。1曲1曲はそれなりに楽しいが、アルバムとして統一感のないコレクターズアイテムレベルで留まっている。「Rave…」をプリンス復活の大狼煙だ!と評価する方もいるようだが、私はまったくそうは思わない。むしろ病状は進行してしまった、と私は本気でプリンスの才能の枯渇を心配した。そうして思い至ったのは、プリンスのような才能豊かな多作家には、外部からのプレッシャーがむしろ必要なのだ、と言う事である。何かしらの抑圧が無いと、(プリンスの中の)平均点的なものしか出てこないのだと思う。

Rave un2 the joyfantastic
だが「the rainbow children(2001)」でそういう思いは払拭されてしまう。コンセプチュアルで演奏のテンションも極めて高く、大前提として美しいメロディとファンクグルーヴのブレンド具合は最高。しかもどういうわけか全体的にシンセやサンプラーによる電子音は最小限に抑えられ、代わりに生ドラムやフェンダーローズピアノ、セミアコースティックギターなどが前面に出るオーガニックなサウンドで彩られていた。好き勝手にやってもこんなに高品質な音楽を生み出せるプリンスすげえ、と改めてひれ伏すことになった。続く「Musicology(2003)」はそのオーガニックなサウンドと、これまでのプリンススタイル(無機質打ち込みとグルーヴィー生演奏の融合。「1999(1982)」以来のトレードマーク)が絶妙のバランスで配合されており、チャート的にもマニア以外のリスナーに注目される内容だった。そして「3121(2006)」でとうとう00年代の「Purple Rain(1984)」を生み出した、と個人的には思っている(陳腐な言い方で申し訳ない)。その「3121」のアメリカチャート初登場1位なんてニュースは、長年マニアをやっていると「うそー?ほんとにー?」という感じだが、その初動に相応しい、プリンススタイルと時代性が見事にバランスした素晴らしいアルバムだと思う。「come(1994)」以降のプリンスを総括し、かつ80年代のプリンスを知らない新しいファンにも、彼の魅力が充分伝わる曲、アレンジ、演奏、パッケージである。
以上はサウンドや制作者という視点からのプリンスサウンドについての私見である。#2では歌詞についての視点を加えつつ考えてみたい。

3121
#2へつづく
1978年のデビューから折々に革新的な変化を遂げてきたプリンスの音楽が、本質的に変わったのは「emancipatin(1996)」だと考える。それはデビュー以来所属アーティストとしての関係を築いていたワーナーブラザーズレコーズと縁を切ったところから、という意味である。「emanci…」はワーナー以外の配信元(結果的にそれはEMIだった)からリリースされることを前提に、1年かけて録り溜めた曲を3枚組に詰め込んだ、まさに解放記念盤。本人が入れたい曲を本人が入れたいように入れたのだろう。かつてワーナーから売り上げに響くから複数枚リリース(2枚組とか3枚組とか)はやめとけとか、「神」などの特定の言葉はエアプレイに影響するから歌詞には使うななど、クリエイティブ上の様々な事象にマーケティング上の事情によるブレーキをかけられた欲求不満が爆発しての離別劇だっただけに、本人にとって「emnaci…」はエポックメイキングな作品だったはずだ。そのことは私も一緒に喜びを分かち合いたい。だがはっきり言って「emanci…」は私には面白いアルバムではなかった。メロディは魅力的な曲が多いが、まるでデモテープレベルのアレンジと演奏ばかりで、少なくとももうちょっと煮詰めた状態で聞かせて欲しいと思った。

emancipation
「emnaci…」はそれでも制作時期の精神状態を考えると、まずリリースされること自体が本人のヒーリングにもつながるのだろうと大目に見たが、続く「Rave Un2 The Joyfantastic(1999)」も同じ匂いのアルバムだったことは、私には大問題だった。1988年に作ったものの発表の機会を待ち続けた伝説のタイトル曲に、ようやく陽の目を見させる機会だと言うのに、今までなら明らかに未発表→ブートレグで流出→マニアだけが知っているような駄作…も含まれていた。つまり各曲がチグハグなのだ。1曲1曲はそれなりに楽しいが、アルバムとして統一感のないコレクターズアイテムレベルで留まっている。「Rave…」をプリンス復活の大狼煙だ!と評価する方もいるようだが、私はまったくそうは思わない。むしろ病状は進行してしまった、と私は本気でプリンスの才能の枯渇を心配した。そうして思い至ったのは、プリンスのような才能豊かな多作家には、外部からのプレッシャーがむしろ必要なのだ、と言う事である。何かしらの抑圧が無いと、(プリンスの中の)平均点的なものしか出てこないのだと思う。

Rave un2 the joyfantastic
だが「the rainbow children(2001)」でそういう思いは払拭されてしまう。コンセプチュアルで演奏のテンションも極めて高く、大前提として美しいメロディとファンクグルーヴのブレンド具合は最高。しかもどういうわけか全体的にシンセやサンプラーによる電子音は最小限に抑えられ、代わりに生ドラムやフェンダーローズピアノ、セミアコースティックギターなどが前面に出るオーガニックなサウンドで彩られていた。好き勝手にやってもこんなに高品質な音楽を生み出せるプリンスすげえ、と改めてひれ伏すことになった。続く「Musicology(2003)」はそのオーガニックなサウンドと、これまでのプリンススタイル(無機質打ち込みとグルーヴィー生演奏の融合。「1999(1982)」以来のトレードマーク)が絶妙のバランスで配合されており、チャート的にもマニア以外のリスナーに注目される内容だった。そして「3121(2006)」でとうとう00年代の「Purple Rain(1984)」を生み出した、と個人的には思っている(陳腐な言い方で申し訳ない)。その「3121」のアメリカチャート初登場1位なんてニュースは、長年マニアをやっていると「うそー?ほんとにー?」という感じだが、その初動に相応しい、プリンススタイルと時代性が見事にバランスした素晴らしいアルバムだと思う。「come(1994)」以降のプリンスを総括し、かつ80年代のプリンスを知らない新しいファンにも、彼の魅力が充分伝わる曲、アレンジ、演奏、パッケージである。
以上はサウンドや制作者という視点からのプリンスサウンドについての私見である。#2では歌詞についての視点を加えつつ考えてみたい。

3121
#2へつづく
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