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暁スタジオ レコーディング日記

ミュージシャン服部暁典によるレコーディング、ライヴ、機材のよもやま話

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(ごく私的)プリンス論2014#3

どこまで書くのか自分でもわからない私的プリンス論。この#3ではレコーディング作品は低迷した00年代以降のプリンスの、しかしより円熟し熱を帯びる極上のライヴパフォーマンスについて考えてみる。サウンドと制作者としてのプリンスを考えた#1はこちら。プリンスの曲作りを歌詞の観点から考えた#2はこちら

2000年代以降、特定のレコード会社との契約を結ばず、インディーズミュージシャンとして活動を続けるプリンスは、せっかく自由になったと言うのにワーナー時代(〜1996年)に比べると音源のリリースペースは緩慢になった。逆にツアーではないライヴ活動は多くなった。#2に先述したとおり、特に「Planet Earth(2008)」以降のレコーディング作品は弛緩したセルフパロディのようなものばかりとなり、インターネットに折々にアップされるライヴ映像を見てもほとんどが1980年代の曲ばかりで(実際のライヴではどうだったのかわからないが)、完全に「昔の名前で出ています」商法で生きていくのか…と、私は暗鬱とした気持ちになったものだ。

ただ演奏曲目はともかく、00年代以降のライヴパフォーマンスがえらく素敵なのもまた事実なのだった。その絶妙な力の抜け加減はまさに「勝者の余裕」である。大雑把に言えば「変幻自在の過去曲」と言えるが、その正体はバンドメンバーを含めた演奏者のインプットを受け入れる曲とアレンジの度量の広さであり、観客を飽きさせない変幻自在のダイナミクスである。プリンスに限らず、素晴らしいライヴパフォーマンスにはこのふたつの要素が不可欠だと個人的には考える。


比較的新しい3RDEYEGIRLでのパフォーマンス"Let's Go Crazy"


ついでに"She's Always in My Hair"も。
思えばこの辺の映像は2014年プリンス大復活の予兆でもあった。
生で聴いたらチビっちゃうよ

改めて世界のショウビズ界を見渡しても生演奏でここまで自作品を昇華できる個人は滅多にいない。それも有能なミュージシャンを集めた"His Band"のバンドマスターと言う視点で見れば、これはもう当代随一と断言できる。そんな大御所っぷりを「過去曲オンパレードなキレッキレのライヴ」で見せつけているにも関わらず、レコーディング作品のテンションは低い…というアンバランスな状態は、私個人から見ると、本人の音楽を続けるモチベーションがどこにあるのかわからない…というのが2008年以降のプリンスだった(そのアンバランスさを記録したドキュメンタリーとして、フォトエッセイの付録として発表されたライヴアルバム「Indigo Nights(2008)」は貴重である)。


テレビ番組でのパフォームも多い。ジェイ・レノショーで"Everasting Now"
ジェイ・レノじゃなくてもひれ伏すぜ!

考えてみれば、折々に演奏メンバーが変わる生演奏の現場で、常にアレンジをブラッシュアップし続けて過去の曲を演奏するトップミュージシャンは珍しい。それは「そもそも曲が良い」という証左であり、前述のふたつの不可欠要素を満たし、過去曲に新しいアイデアを注入しつづけるには演奏者のクオリティが高い必要もある。リアレンジに耐えられる曲というのはそもそもメロディとハーモニーの関係が秀逸であり、かつ良いバランスである必要がある。美メロ量産工場のスティーヴィー・ワンダーの曲が多くの後輩からカバーされるのには、商業上の理由以外にも音楽家として挑戦しがいがあるという確たる理由があるのである。

80年代のプリンスの作品が度重なるリアレンジに耐えられるのは自然に納得できるが、00年代以降のライヴパフォーマンスに80〜90年代の曲が多いという事実は、逆説的に「00年代のプリンスには良い曲が少ない」とも言えてしまう。その意味でも#2でさんざん述べた00年代以降のレコーディング作品の低迷ぶりを証明する現象と言える。オールドソングばかりがセットリストに並んだ理由は、ファンが喜ぶからとか、久しぶりに演奏するので返ってフレッシュだから、だけではないはずだし、プリンスの作品履歴を振り返れば必然的な面もある。


North Sea Jazz Festival 2011での"Joy in Repetition"。
ちょっと長いけどこのエロカッコ良さは異常。
コード、3つしか使ってないのに、このドラマはなんなんだ!

80年代までのプリンス、もっと言えば「Lovesexy(1988)」までのプリンスの音楽は、ごく普遍的なメロディとハーモニーを、如何に先端のアヴァンギャルドな音で表現できるかへ挑戦し続けた10年間(さらに突っ込めば「Around the world in a day(1985)」から「Lovesexy」までの4年間)だった。しかし90年代以降、正確には「BATMAN(1989)」以降は、メロディ+ハーモニーという曲の骨組みだけでなく、アレンジや演奏もよりトラディショナルなものに変容していく。それは先述した「勝者の余裕」でもあり、演奏スキルを蔑ろにしてテクノロジーに頼った曲作りに傾倒する若手へのアンチテーゼの意味もあったと思われる(トラックメーカーなどという言い方が出てきたのも90年代以降である)。

レコーディング作品の低空飛行と、対比して凄みを増すライヴパフォーマンスという現象を理解するもうひとつの視点として、インターネットを介した著作権無視の映像・音源の海賊行為にプリンスが憤っていたということも関係あるだろう。これまでもブートレグに対して否定的な発言が多かったプリンスだが(プリンスほどの多作家ならある意味当然の嫌悪である)、ネット上の画像や音源、情報リーク、個人レベルのファン運営ウェブサイトを「監視取り締まり」することにも、2014年の現在に至るまで熱心であり、その過剰とも言える「削除命令」については熱心なファンからの批判も生んだ(その批判に対して「F.U.N.K.」という新曲をリリースしたりもしている)。だが本人の中では「アーティスト本人がコントロールできないデータや情報がネットを飛び交い、アーティストの権利を軽視する世の中」と写るのだろう。そこで、権利が軽視され、いたずらに作品が消費される音源制作よりも、ファンと直接やりとりできるライヴに重点を置く、と決めたのかもしれない。これは自分で作品を創るミュージシャンが、どんどんこの方向に舵を切り始めていることでも理解できる(あの山下達郎が毎年ツアーに出るなんて思いもしなかった)。


なんだこの豪華メンツは!?

#4へつづく
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