暁スタジオ レコーディング日記

ミュージシャン服部暁典によるレコーディング、ライヴ、機材のよもやま話

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(ごく私的)プリンス論2014#2

ごく私的なプリンス音楽評。#1はこちらを参照いただきたい。主にサウンドや制作者としてのプリンスについて考察してきた。#2では1990年代中頃に訪れたプリンスの人生の大きな転機と、その影響によって変容した「歌詞」について考えてみたい。

ちょうど「emancipation(1996)」発表の頃、プリンスはバックダンサーだったマイテと結婚した。「emanci…」に満ちる多幸感の理由の多くはこの結婚によるものなのだが、その直後(それこそ「emanci…」が市場に出回り始めた頃)誕生した子どもが難病のため亡くなってしまう。その哀しみは想像するに余りあるが、どうやらこれがきっかけでプリンスは「エホバの証人」に入信してしまう。その結果これまで重要な歌詞テーマであり、割合としては過剰と言っても良いほどの歌詞テーマだった「性」について、突然クリーンになってしまう。こっちとしては「はぁ?」という事態だが、本人は大まじめらしく「清く正しく美しく」な歌詞が増えてしまう。結果的にサウンドからもアクが抜けてしまい、「the rainbow children(2001)」「Musicology(2004)」「3121(2006)」では「神と自分の関係」そのものが歌詞テーマになってしまい、本人としてはそこに新鮮味があったのだろう。結果的に前述の3枚は大変充実した作品となっていたが(それはそれで凄いことだが)、その新鮮味も薄れたのか「Planet Earth(2007)」では茶番劇を見るような「清いプリンス」が登場してしまう。「Planet Earth」でのプリンスの浄化具合、作品の薄口具合は私にとっては絶望的とも言えるほどで、これはジャンルとしてガチなゴスペルである。私はプリンスの音楽にそんなものは求めていないのだ。

planetearth.jpg
Planet Earth

絶望に打ちひしがれているのは当方だけだったようで、2009年には「LotusFlow3r(2009年)」、「MPLSOUND(2009)」、「Elixir(2009)」という3枚組みアルバムが発売される。当然のことながら本人としてはノリノリだったのだと想像する。本人名義の「LotusFlow3r」はギターサウンドに特化、同じく「MPLSOUND」はなぜか80年代のプリンスサウンドの象徴であるドラムマシンLINNドラムにスポットを当てた、つまりテクノロジー(楽器)にインスパイアされる曲作りに回帰し、結果として若干の活気を取り戻したかに思えた。その3枚の中には充実した楽曲もあるにはあったが、(発掘した女性ヴォーカリスト、ブリア・ヴァレンティの「Elixir」を除けば)全体的に商業色の薄いプライベート盤の様相であった。「このまま『趣味のアーティスト』みたいになっちゃうのかな。こりゃ困ったな」と思っていたら「20TEN(2010)」ではさらにそれが進んでしまい、もはやプリンス本人のヤケクソパロディを聴かされているような、単なる「プリンス的音楽の形骸」が並んでいるだけだった。

LotusFlow3r.jpg
LotusFlow3r

mplsound.jpg
MPLSound

elixer.jpg
Elixir

歌詞のある音楽を作る以上、歌詞の存在は言うまでも無く重要だ。これまでとは180度違う歌詞テーマを扱うことで、音楽そのものが変化してしまった。まるで「目黒のさんま」よろしく、せっかくの持ち味である猥雑さや攻撃的とも言える自身のエネルギー照射を、どんどん濾過してしまったのが1996〜2010年のプリンスである(「3121(2006)」のような例外もあるにはあったが)。その結果、プリンスサウンドは宙に浮いてしまった。猥雑さや「オレがオレが」的前のめり感の希薄なプリンスの楽曲群を、それでもプリンスらしいサウンドにしていたのが、再生産的なメロディや演奏スタイルである。ここで私が問題にしたいのは、プリンスがプリンスのスタイルに固執したことではない。プリンスのスタイルは本人にしかできない掛け替えのない財産であり、それは本人とファンの共有財産であり、あれほどの才能ともなれば人類の財産と言える。アーティストが自身のスタイルにこだわることは必然でもある(それでもプリンスはずいぶんそのスタイルを自ら破壊してきた方だと思うが)。私が問題だ、困ったなと思ったのは「こうやればみんな満足なんでしょ?ほらちょちょいのちょい」でアルバムを作っている気配があることなのだ。ファンやマニアが「プリンスらしい曲」として喜ぶということは、前述のとおりそれは再生産的アイデアであり、それを始めてしまったらもうアーティストとしての成長は無い。そう、プリンスがもう成長せず、セルフイメージの再生産で余生を送るということが問題だ、と思ったのだ。

もし2010年にプリンスが死んだら、「結局天才も才能が枯渇しちゃって…。遺作だからみんなありがたがって聴いているけど、20TENってクソアルバムだよな」と言われていただろう(それはマイルズ・デイヴィスの遺作「Doo bop」が帝王のラストアルバムとしてはトホホだけど、一応遺作だから…。と迎えられたのと近い)。1986年、かの有名な「Black Album」をお蔵入りにした理由として「内容がネガティヴすぎると思ったんだ。もし明日僕が死んだら、このアルバムが遺作として聴かれることになる。それは耐えられなかった」と言ったとか言わないとか。「20TEN」はそれどころの騒ぎではない。こんなテンションのアルバムがまたリリースされるなら、もうオレ、プリンスのアルバム聴かなくてもいいかもしれない、とまで私は思ったのである。

20ten.jpg 
20TEN

だから。だからこそ。2014年にリリースされた「Art Official Age」と、名義こそプリンス&サードアイガールになってはいるが実質上の2枚組の片割れたる「PLECTRUMELECTRUM」の大傑作ぶりがしみじみと嬉しいのである。

#3へつづく
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