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暁スタジオ レコーディング日記

ミュージシャン服部暁典によるレコーディング、ライヴ、機材のよもやま話

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(ごく私的)プリンス論2014#4

2014年に発表されたアルバム「Art Official Age」と「PLECTRUMELECTRUM」のあまりの傑作ぶりに感動し、なぜここまで感動するのかを考えていたら、80年代と比べて90年代半ば以降のレコーディング作品が低調だったからでは…?という、マニアとも思えない疑問を自ら整理・解明するために書いている本プリンス論。この#4ではふたたびレコーディングという創作の現場でのプリンスを考察してみる。サウンドと制作者としてのプリンスを考えた#1はこちら。プリンスの曲作りを歌詞の観点から考えた#2はこちら。天井知らずに良くなっていくライヴパフォーマーとしてのプリンスを考えた#3はこちら

デビューから1991年の「Diamonds and Pearls(1991)」までは、ほぼ1年に1枚のアルバムをリリースしてきたプリンス。特に「Purple Rain(1984)」から「Lovesexy(1988)」までの5年間の充実ぶりは、ポップスの歴史を書き替え続けた5年間でもあった。当時1日1曲レコーディングするとすらウワサされたプリンスのレコーディングに対するモチベーションには、「新たなテクノロジーを取り入れることによって実現する録音表現」からの刺激も確実にあったはずだ。具体的には

■1970年代後半のデビュー当時の多チャンネル化するマルチトラックレコーダー
  →多重録音によるひとりファンクの実現

3348.jpg
日本で猛威を奮ったデジタルMTR
SONY 3348

■1980年代前半のドラムマシン導入
 →ヒットチャートを席巻

linn.jpg
Paisley Park Studioでは今も現役の
LINN LM-1

■80年代中期以降のMIDIシーケンサーやサンプラーの導入
 →脳内にダイブしたかのような特異なアレンジスタイルの確立

fairlight_cmi.jpg
Sign O' TimesとかLovesexyはコレ抜きには生まれなかった?
Fairlight CMI。これでだいたい1千万円

・・・など、プリンスサウンドの変遷は電子楽器・レコーディング機器テクノロジーの発達とぴったりと歩みを揃えている。

もっとも音楽表現に深く関わるこれら楽器やレコーディング機器テクノロジーの発達は、80年代でほぼ開拓され尽くされた感があり、それ以降現在に至るまでそれらテクノロジーのブラッシュアップだけに時間が費やされているように思う。1990年代末期にはテープメディアに取って代わりHDDを録音メディアとするレコーディング方法が主流となり、楽器・レコーディング機器に関わるテクノロジーの発展はこの時期が頭打ちとなった。2014年の現在ではアナログ機材を見直しする機運すら起こっている。そういう意味ではファッションと同じなのだ。

「HDDを録音メディアとするレコーディング方法」とはレコーディング用ソフトウェアによる録音であり、それらのソフトウェアはデジタルオーディオワークステーション=DAWと呼ばれる。大層な名前だが、HDDの高速・大容量化とCPUの高速化によって「サンプリング」という手法が拡張されたに過ぎない。しかしDAWが普及した結果、エンジニアのマル秘職人技的な処理が誰でも簡単にできるようになった。ソフトウェアベースのレコーディング方法は、商業レコーディングだけでなく、アマチュアレコーディングのスタイルも根本的に変えてしまった。

プリンス自身も優れたエンジニアリングスキルを持っているようだし、これほどのドラスティックなテクノロジー面での変化が、プリンスの音楽に大きな影響を及ぼしていないことはむしろ不思議に思える。プリンスが自作にレコーダーに関する明確なクレジットを記したのは「the rainbow children(2001)」が初めてであるが、「とうとうプリンスもDAWを使い出したか」と言う感慨はあったが、その結果生まれた音楽は、それまで以上に生演奏感が強いジャジーなサウンドであった。その後の作品を聴いても、DAWによってより創作の自由度が上がったことは確実だが、プリンスの作風に変化を起こしたとは思えない。

ワーナーブラザーズレコーズとの契約が切れ、自由なペースでレコーディングとライヴを行い始めた1990年代後半には、インターネットの普及によって画像、映像、音源類がネット上を乱れ飛ぶようになった。#3で触れたようにネット上の違法録音や映像の流出にセンシティヴなプリンスは、そのような流れを「オーディエンスのアーティスト作品への敬意が低下した」と捉えたのだろう。

1)レコーディング技術が飽和状態となり、作風への影響が低下した
2)インターネットによる過剰な情報流通によって創造物への敬意が低下した

以上のようなふたつの理由で、00年代以降のプリンスにはレコーディングによる創作への熱意の低下と、レコーディングとライヴの価値観の転換が起こっていたのではないか…と想像する。それに未発表曲が数百曲とも千曲とも言われているわけで、10曲入りのアルバムを毎年1枚リリースしても数十年以上ネタには困らない(実際に過去の曲をこの先発表するとは思えないが)。金のためなら、そもそももうレコーディングしなくても良いのだ、プリンスは。

2013年頃から3RDEYEGIRL名義でライヴを行い、新曲も過去曲も取り混ぜたメニューをドライヴ感たっぷりのファンクアンドロール仕立で演奏する姿を見て(と言ってもインターネット上で、であるが)、ますますレコーディング作品とライヴ演奏の格差が広がっていくのを感じた。まぁこのメンバーでレコーディングもしているんだろうけど、映像作品「UNDERTAKER」みたいなのだとオレには水が合わないなぁ…などと漠然と考えていた。つまり、プリンスの新作には、私は期待していなかったのである。折々に公式に発表される音源、具体的には「Breakfast can wait」「screwdriver」「Breakdown」の3曲だが、どれもピンと来なかった。元気があるのはわかる。「勝者の余裕」を引き続き漂わせていることもわかる。しかし「プリンスじゃないと出せない音」には聴こえなかった。増してやズゥーイー・デシャネルをフィーチュアリングした「FALLINLOVE2NITE」に至っては、隅から隅まで手垢のついたアイデアばかりで、何かの冗談かと思ったほどだ。こんな楽曲群を収録したアルバムが出ても、果たしてそれは聴くに値する作品なのだろうか。プリンスを神と崇める自分が、新経典(=ニューアルバム)をありがたく思わないという事実に愕然とした。
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