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暁スタジオ レコーディング日記

ミュージシャン服部暁典によるレコーディング、ライヴ、機材のよもやま話

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男歌と女歌・男女はわかりあえなくて当然なのでした

日本語の歌の歌詞には男歌と女歌があると思う。例えば男歌のイメージとして「だぜ」や「のさ」などと言った表現がすぐに思い浮かぶし、反対の女歌なら「のよ」や「だわ」だろう。今回私が言いたいのは表面的な言葉の違いだけではなく、志向・性向的な違いについてである。とっくの昔に多くの人が指摘してきたことかもしれないが、せっかく気付いたので書いて見る(笑)。


男性的性格、思考の歌詞を取りあえず「男歌」と書いてみるが、昨今の代表的男歌歌詞と言えば筆者にとっては断然スガシカオである。

有名過ぎる歌い出し

「あれから ぼくたちは 何かを信じてこれたかな」

の「かな」という惑いそのものがとても男性的である。いわゆる男性性という意味では真逆なことを言っているように思われるかもしれないが、世間一般で言う「漢(と書いて"おとこ"と読む)」の男性性は実際の世に溢れる男性が「そうではないから」こその憧憬であって、実際「男らしい男」は滅多にいるもんじゃない。その辺の感覚をスガシカオは見事に歌詞に落とし込んでいると思う。スガシカオ=「かな」だとすら思う。

一方女歌の代表として挙げてみたいのはアニメーション「美少女戦士セーラームーンR」のエンディング曲だった「乙女のポリシー」という曲である。


そもそも素晴しいメロディとアレンジなのだが、このサビの歌詞に注目したい。

「コワイものなんか ないよね ときめく方が いいよね」
「なりたいものになるよね ガンバルひとが いいよね 涙もたまにあるよね」

である。「よね」だ。「よね」なんだ。女子のコミュニケーションの基本である「共感」なのである。同じことを男歌の歌詞にすれば

「コワイものなんかないぜ ときめく方がいいのさ」
「なりたいものになってやる ガンバル人がいいのさ 涙もたまにはあるだろう」

だろうか。そもそも意味が違って聴こえるし、感覚そのもののあまりの違いにめまいすら覚えるではないか(男性脳的共感の呼び起こし表現)。こんなに違うんだから男女のコミュニケーションが基本的にうまくいかなくてあたりまえだ、という気がしてくる。

だからなんだという話だが、面白いなぁと思って。以上。
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