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暁スタジオ レコーディング日記

ミュージシャン服部暁典によるレコーディング、ライヴ、機材のよもやま話

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お約束

およそ表現行為には評価評論が付き物だが、プロの批評家はともかく、表現行為の現場に居合わせる人びと(表現者と鑑賞者)だけに限って言えば、観る人聴く人の数だけ評価ポイントがあると言ってもいいだろう。むしろそうじゃなきゃいけないと思う。もちろん評価のポイントは大別できると思っていて、例えば「望んでいたとおりのことをやってくれる快感」は多くの人が喜ぶポイントだろう。それはつまりDeep Purpleのライヴで"Highway Star"とか"Smoke on the Water"のイントロを聴く瞬間の快感である。


NHK教育テレビに「にほんごであそぼ」という番組がある。これが実に面白い。錚々たる出演者なのだがその中に中村勘九郎がおり、歌舞伎の名場面を様々にかみ砕いて実演してくれるコーナーがある。先日見ていたら、弁天小僧の名ぜりふ「知らざぁ言って聞かせやしょう…」をやっていた。

知らざあ言って聞かせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き、以前を言やあ江ノ島で、年季勤めの児ヶ淵、江戸の百味講(ひゃくみ)の蒔銭を、当てに小皿の一文字(いちもんこ)、百が二百と賽銭の、くすね銭せえだんだんに、悪事はのぼる上の宮、岩本院で講中の、枕捜しも度重なり、お手長講を札付きに、とうとう島を追い出され、それから若衆の美人局、ここやかしこの寺島で、小耳に聞いた祖父さんの、似ぬ声色で小ゆすりかたり、名さえ由縁の弁天小僧菊之助とは俺がこった。

テレビ画面の中で、しかも教育テレビ用のポップな衣装をまとって素顔でとは言え、中村勘九郎がこの口上をうなると、当然のことだがもう目も耳も釘付けである。名調子でセリフが進み(読んでも聞いてもけっこう長い)、とうとう最後の「べんてんこぞうきくのすけたぁ、ぁ、おれがことだぁあ」と型をつけてやられると、まさにリッチー・ブラックモアがSmoke on the Waterのリフを弾き出す瞬間の快感と同種のものを感じる。「いよ!待ってました!!」の掛け声はこういう場面に自然に出てしまうものなのだ、と理屈抜きに理解できる。早朝の食卓でひとり血流が早くなってしまった。お約束のパフォーマンスを安心して楽しむ、来るとわかっていて来るお約束に乗っかるという図なら、おそらくラスベガスなんかのホテルのディナーショーも同じ系統の楽しみではないか。

この「決まりごとを決まりどおりにやる」という表現が充実しないと、オルタナティヴ、つまり「反主流の表現行為」もまたきらめかない。両者はお互いに必然かつ必要な存在なのだ。敢えて言えば「決まりごとは所詮決まりごと」なので、その実演には高い高い意識と技能が求められる。秋、おしゃれカフェ、ジャズのミニライヴ。「ではここで秋に相応しい名曲を1曲お送りしましょう。」のMCに続いて「枯れ葉-autmn leaves-」などやろうものなら、本来苦笑されなければならない。そのシチュエイションで枯れ葉を演り切る(やりきる)なら、相当ぶっ飛んだ演奏でなければ観客を喜ばすのは難しい。

決まりごとを低い意識で提供するのはもちろん困ったことだが、由々しき問題は「それを特に問題と思わない観客」が多いということだ。
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