2015.12.31 Thu
ラジカセ礼賛
「音楽を聴く」と一口に言っても、私の場合その聴き方は2種類ある。ひとつは音楽作品を作る際に細部を聴き詰めて調整する聴き方。もうひとつは読書の傍らだったり何か手を動かしている時だったり、主に「ながら聞き」する聞き方。音楽のための機械を買うのはいつでもワクワクするが、結果的に「どうせ買うなら」というさもしい根性を発揮して、前者、つまり音楽制作に耐え得るものを買う傾向が自分にはあった。いわゆるスタジオモニターなどと呼ばれる類いの製品である。良いモノは高い。だからそうそう気軽に買うことはできない。そしてそういう機材でながら聞きをすると、どうも具合が悪い。有体に言って、楽しくないのである。なぜだろうか。
私の家にはラジカセが1台ある。かれこれ25年ほど使っている…というか、最後に音を出したのはいつだろうという感じだ。ところが先日、久しぶりにこのラジカセでCDを再生しながらマンガを読みふけっていたら、何というか、実に良いのだ。25年も前のものだからはっきり言って音はあんまり良くない。でもそのことで返ってリラックスして聞けるのだ。何というか、普段自分は目を三角にして音楽と接していたのだなぁと肩の力が抜ける思いだった。これからは「あんまり良くない音」で音楽を聞く時間を増やしたいと思う。
念のために書くが、だからと言って音源の音質がそれなりで良いということではない。音楽作品を世に発表する時は最善の音、情報量であるべきだと思う。それをどこまで聴くかは聴き手の自由だ、ということなのだ。音楽が日常生活にもたらす効果は様々だが、それはポジティヴな効果であって欲しい。様々な場面で良い音になるよう、音源の音質は最善であるべきだし、なるべく多くの情報が詰められているべきだとも思う。どういう音質で耳に入れるかという選択の自由は聴き手に委ねられているのだから(制作者としてはそこが歯がゆいところなのだが)、もっと意識して使い分けられたら良いと思う。
いやー、ラジカセいいな!
ということで2015年のエントリーは以上。2015年のまとめと2016年の意気込みは次のエントリーで。
念のために書くが、だからと言って音源の音質がそれなりで良いということではない。音楽作品を世に発表する時は最善の音、情報量であるべきだと思う。それをどこまで聴くかは聴き手の自由だ、ということなのだ。音楽が日常生活にもたらす効果は様々だが、それはポジティヴな効果であって欲しい。様々な場面で良い音になるよう、音源の音質は最善であるべきだし、なるべく多くの情報が詰められているべきだとも思う。どういう音質で耳に入れるかという選択の自由は聴き手に委ねられているのだから(制作者としてはそこが歯がゆいところなのだが)、もっと意識して使い分けられたら良いと思う。
いやー、ラジカセいいな!
ということで2015年のエントリーは以上。2015年のまとめと2016年の意気込みは次のエントリーで。
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