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暁スタジオ レコーディング日記

ミュージシャン服部暁典によるレコーディング、ライヴ、機材のよもやま話

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「やくそく20160311」リリースノート

2016年中に発表されるであろう服部暁典の新しいアルバムに先駆けて発表される「やくそく20160311」の、これはリリースノートである。


2012年夏。私は演劇のための音楽を作った。それはTheatre Group OCT/PASSの「方丈の海」という作品で、主宰者石川裕人氏のオリジナル脚本だった。「方丈の海」は2011年3月11日に起こった東日本大震災によって甚大な被害を受けた、ある架空の漁村のその後を描いた、怒りと祈りに満ちた作品だった。

東日本大震災以降、自分はこの地震のことをどうやって消化していいのかわからなかった。家も家族も親族も無事。多少不便な生活をある期間強いられたが、家族を亡くし、財産を無くした人々の無念さや悲しさとは比べるべくもない。だが表現を志している人間として、この未曾有の出来事と人間の無力さを無視することはできないと思いつつ、おあいそのような悔やみを言うまい、そんな中途半端な気持ちを音楽に持ち込むようなことだけはするまいと気をつけていた。

「方丈の海」は、そんな自分にとって、「とうとう来たか」と覚悟を決めなければならない出来事だった。脚本に指示される音楽ではなく、「震災と人間」という裕人氏が取り上げる視点に、「演劇の脚本」と「音楽」とで真っ向ぶつかって並立することだけを念頭に置いた。その結果音楽は採用され、自分でも「震災と音楽」という試みに納得いく回答をしたつもりになっていた。この曲はその時に生まれたものである。

そしてさらに年月が流れた。曲を作った頃よりももっともっと多くの情報が明らかになった。時間が経つことによって明らかになることもあった。私の同僚が、仙台市の沿岸部の人々から聞き取りを行い、それを冊子やウェブで伝える仕事を始めていた。「RE:プロジェクト」というそれは、ライターの西大立目祥子さんのインタヴュー記事と、そのインタヴューに立ち会って生まれた詩人武田こうじさんの詩が一体となった、風変わりな「聞き取り調査の記録」だった。同じインタヴューから記録と詩が生まれるのである。2015年6月、武田さんのそれらの詩が、一冊の冊子になって配布されていた。その中に「やくそく」はあった。

やくそく/武田こうじ

すいへいせんを
ゆびでなぞって
ぼんやりと
リダイアルした

すぐそこなのに
とおいかこ

ほしはくりかえし
やってくる
ほんとうことを
なかなかいえない
ぼくたちのかなたに

あいして
あきらめて
なぐさめて
といかけて
このうみに
ただいま
おかえり

2011年9月という震災からほどなく生まれたこの詩は、4年を経た2015年に読んでも意味が変わらないどころか、ますます重みを増していた。あるイベントの片隅にあったその冊子を何気なく読んだ私は、みぞおちに一発食らったようなショックを受けた。かつて自分が作った曲がこの詩と頭の中で重なった。その場にいた武田さんに「ぜひ自分の曲の一部としてこの詩を使わせてほしい」と厚かましく頼み込み、快諾をいただいた。

ちょうどその頃、朗読公演を始めた若栁誉美さんと知り合った。誉美さんの人柄と言葉に対する感覚は、自分にとってストンと納得できるものだった。私が音を扱っているのと同じように、誉美さんは言葉と声を扱っていた。2015年11月に誉美さんの朗読公演に自作曲とともに参加する機会を得て、機が熟したと悟った。盟友及川文和の協力を得て生ピアノを録音し、そのピアノ演奏に誉美さんが真摯に反応してくださった結果が「やくそく20160311」である。かようにたくさんの人々の影響があって初めてでき上がった、服部の、震災と音楽を考えた時に言葉にできない意思の表明であり、言わば存在証明である。


「やくそく20160311」
words:武田こうじ/compose:服部暁典
piano:服部暁典
reading:若栁誉美

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