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暁スタジオ レコーディング日記

ミュージシャン服部暁典によるレコーディング、ライヴ、機材のよもやま話

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「絞首台の上の馬鹿」観劇

12月3日だから、すでに一昨日のことになる。Theatre Group OCT/PASSの第30回公演「絞首台の上の馬鹿」公演を観劇してきた。

死刑制度という微妙なテーマを、わざわざ「ブラックコメディ」とサブタイトルを付けて我々に突きつけてくる石川裕人さんの気概にまず拍手。役者のみなさんにも拍手。レギュラー陣はとてもこなれているように感じたし、去年は新人だった数人も芝居のワンピースとしてきちんと成立していたと思う。単純に見て楽しく、考えさせられる芝居だった。こういうことをライヴでやる「演劇人」という人たちは単純に凄いと思う。

ここからは音楽制作者としての独善的な散文であるからそのつもりで読んでいただきたい。今回の音楽は基本的には情緒的な要素を自分なりになるべく取り除いたつもりだ。それは演劇用音楽の場合、最終的に観客に供される瞬間には音楽以外の多くの要素がパッケージされた状態となることが身にしみてわかってきたからだ。逆の言い方をすると、普段自作を作っている時は、如何に「音楽だけで」多くを語ろうとしていることか、と言うことになる。役者の演技や照明、小道具大道具は言うに及ばず、最終的には提供を受ける観客の反応そのものまでが演劇を創る要素になる。それらがバランスを取りつつ観客に吸収されていく時に、音楽だけが独りよがりに主張してはよろしくない、ということが理解できてきた。制作途中で「これ以上はやらないでおこう」などと制御できるようになってきた。

今回の作品が完璧なバランスの音楽だとは思っていないが、少なくとも役者の演技と共存することによって幅が広がる音楽になっていたように思う。

これまた主観的で、かつ勝手な言い分であることを承知の上で書くが、ではその音楽が会場で役者の生声と有機的に混じり合っていたかどうかということになると、はっきり言うと不満である。スピーカーの配置、チューニング、役者の生声やSEとのバランスからフェードイン/アウトのタイミングに至るまで、もう少し改善の余地があるようには思う。芝居の音響さんというのは難しい。しかしデジタルメディアで納品してしまった後は、こっちとしては電気音響の力を借りないと客席に届けられないのだから、やはりそこには音楽制作者として観客の耳にこう聞こえて欲しいという希望もあるし、制作意図もある。その辺を音響担当者ときちんと煮詰めて行くこと、メディアを渡して仕事終了としないことが今後の課題だと思う。
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| 音楽雑感 | 01:01 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

学生時代に自主制作映画の音響やBGMを作っていた身としてははっとりくんの感想は尤もだと思いました。主張じゃなくてあくまでサポート。でも合体することでケミストリーが生まれれば最高、ということかな。8mmと比較してごめんねごめんねー。

| かた | 2009/12/05 11:07 | URL |

◇かた様
そうですそうです、ケミストリーでありマジックですね。必ずしも自分の想定したヴェクトルじゃない場合もありますが、それを肯定的に捉えられるのが「ライヴ」の良さだと思います。

映像の音楽ってのも挑戦したいですね。「役者がどう動くかわからない」のに鳴る音楽と、「すでに役者の動きは確定している」のに鳴らす音楽ではどう違うのかな。う~やってみてぇ。

ちょっと想像しただけですが、映像の方が面倒くさいことが多そう(笑)。

| はっとり | 2009/12/05 20:48 | URL |















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