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暁スタジオ レコーディング日記

ミュージシャン服部暁典によるレコーディング、ライヴ、機材のよもやま話

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KeyUniのMCで触れた「打ち込み」とは

去る8月20日に無事終了したKeyboardist Union@仙台 Vol.6 Liveに出演してくれた高橋督君が、世間一般で言われる音楽制作における「打ち込み」と、自身の作曲行為としての打ち込みの違いについてブログで言及している。少々記憶が曖昧なのだが、たしかa2cismの演奏の直前のMCで、督君の音楽を「打ち込みによる緻密な音作りで云々」みたいなことを話したことを受けてのエントリーだと思う。

実際のステージでは「おおむね出音の80%以上はリアルタイムで弾いているのである」と書かれているように、督君の音楽は自動演奏が特徴なのではない(表現の大きな武器だとは思うが)。恐らく私のMCが「打ち込み=自動演奏=弾かない」という印象を与える口調だったのかもしれない。

誤解無きよう願いたいが、督君は優秀な実演家であり、自己の表現に厳格な音楽家である。彼の音楽に対する態度や考え方に接すると「オレも昔はそう思っていた(実行していた)のだけどなぁ…」と我が身を恥じる場面が多々ある。彼は服部が持っていないものをたくさん持っている。素直にうらやましい。もし督君本人や観客のみなさんにいらぬ誤解を与えたとしたら万死に値する。重ねて言うが高橋督君は優秀な演奏家である。

さてこれから書くことは世間一般で言うところの「打ち込みサウンド」についての服部の考えである。前述のリンクで督君も同じようなことを書いているが、緻密に打ち込めば打ち込むほど「自分が弾くスペースが無くなっていく」。自分の弾くスペースを予想しながら打ち込むことは当然可能なのだが、結果としては予想以上にも以下にもならない。本番で「やっちまった」という結果にならないのはプラスのように考えられなくもないが、「気合い入れて弾いてもたるんで弾いても結果はそう変わらない」という状況に慣れてしまうと演奏者としてレベルアップは望めない。「気を抜いたらとんでもないことになる」という状況が実演には必要なのである。

もちろん「打ち込み」は敵ではない。音楽表現のスパイスとして重要な手法であるが、しかし鍵盤奏者として、そこに溺れてはいけない、と常々考えている。結論は出ないが。
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| 音楽雑感 | 21:25 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

あの時のサウンドは彼そのものだったように感じます。

私もあの楽器は多少心得があるので、あのサウンドを出すのにどれだけの「打ち込み」が行われたか、どれだけの演奏が行われたかよくわかります。

どのプレーヤーも素晴らしいのですが、そんな中でも彼の「演奏」は印象に残るものでした。

打ち込みだろうがマニュアルによる演奏だろうが、追い求めている音楽を再現できる素晴らしいセンスを持っているキーボードプレーヤーの存在はいつも自分に刺激を与えてくれています。

| richard | 2010/08/23 00:05 | URL |

◇richard様
結局のところ、聴き手にとってはどういう表現が成されたか、そして
それをどう感じるかということで、手法はどうでも良いことだと思うの
ですが、我々発信する側からするとどうにも気になる重要なポイント
でして…。

こういうことに気付いたり共有できることも、KeyUniをやってて
良かったなと思うところです。richardさんのコメントは、本来督君の
ブログに付くと最高なんですが、今彼のブログはコメント付けられない
状態になってますからねぇ。

お~い、あつし~、読んでるか~?いいこと書いてあるぞ~。

| はっとり | 2010/08/23 09:04 | URL |

richard様、服部様

色々とアドバイスありがとうございます。
ライブ終演後、しばらく色々なことを考えておりましたが
お二人のコメントを読ませて頂いて、ようやく吹っ切れました!
アドバイスを真摯に受け止め、演奏技術の向上、自己音楽の発信、
これからも精進します。KeyUniにさせて頂いて本当に良かった。

| @ | 2010/08/24 13:58 | URL | ≫ EDIT

◇@様
そっか、いろいろ考えてしまったか。打ち上げでは席が離れていて全然
話せなかったもんなぁ。あの晩少しでも話せていればもしかしたらこんな
web上でやりとりするようなこともなかったかもしれないのぉ。惜しいことを
した。

@君の返歌的エントリーも読ませていただきました。ちょっと長くなるかも
しれないが、感じたことをコメントとして書きます。基本的に@君の書かれて
いることと同じなのですが、私の言葉で書いてみます。

「そういう風にしか音楽を聴けない事が悲しい事なのかも
知れませんけど。」について。音楽を楽しむ切り口はたくさん
あるので、「このたくさんの音色や明らかに腕と足の数以上の
フレーズはいったいどうやって実現されているのか?」という
好奇心で音楽に興味を持ってくれても一向に構わないと
思うんですよ。きっと@君も同じように考えていらっしゃる
と思います。

その興味・好奇心の向うに「弾いてない」=「ダメなプレイヤー」
という演奏原理主義が見え隠れすると、とたんにそれは音楽を曲解する
方向に行ってしまうと思うのです。何を隠そう私も以前はそうでした。
以前お話ししたことがあるように思うのですが、「弾けるヤツこそ
エライ」という思想です。それはそれで正しい場合もありますが、
その思想・価値観だけで音楽すべてを測れるわけではありません。

極端な例として、冨田勲の「月の光」は自動演奏ですが、じゃあ
そのことであの演奏の価値が下がるのかというとそんなことはない。

自動演奏なのか手で(足で)弾いているのか、という表現手段は
実は問題では無く、@君がメールでもらった感想のように
音楽が「言葉」を伝えているか否かだと思うのです。伝えることが
できれば音楽として上等の部類に入るのだと思います。そういう考えで
あの日のa2cismの演奏を振り返れば、「上等な音楽」だったと
言わざるを得ないのです。やられました。精力的に活動してください。
私もがんばります。

| はっとり | 2010/08/24 23:22 | URL |

ついでに私も(^_^;)
私もあのメールでの感想がすべてを物語っていると思います。

私の場合は弾きたい欲求がかなりあるのであのような(どんなだよ!)音数の多い演奏になってしまう事が多々あります。
でも何を伝えたいかが一番だから弾ける弾けない、打ち込み手弾きは関係ないかと思います。

あの日の演奏は「上等」であり「上質」である事は誰が聞いてもゆるぎない事だったと思います。

こんなやりとりもいい刺激になります!
ありがとう!

| richard | 2010/08/26 08:30 | URL |

◇richard様
そうそう、「伝わった」か「伝わらなかった」で、手法はきっと
どうでも良いことなんだと思うんです。伝えたいことに最適な
手法を選ぶか否か、かと。

オレもすごく刺激になります!ありがとうございます!

| はっとり | 2010/08/26 08:47 | URL |

hattori 様、richard 様

今回の刺激、しっかり自分に刻み込みました!
ありがとうございました。感謝多謝。

| @ | 2010/08/27 01:08 | URL |

ええ話や。おみやげおみやげ。

◇@様
オレもです。感謝。

| はっとり | 2010/08/27 08:39 | URL |















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