2010.08.22 Sun
KeyUniのMCで触れた「打ち込み」とは
実際のステージでは「おおむね出音の80%以上はリアルタイムで弾いているのである」と書かれているように、督君の音楽は自動演奏が特徴なのではない(表現の大きな武器だとは思うが)。恐らく私のMCが「打ち込み=自動演奏=弾かない」という印象を与える口調だったのかもしれない。
誤解無きよう願いたいが、督君は優秀な実演家であり、自己の表現に厳格な音楽家である。彼の音楽に対する態度や考え方に接すると「オレも昔はそう思っていた(実行していた)のだけどなぁ…」と我が身を恥じる場面が多々ある。彼は服部が持っていないものをたくさん持っている。素直にうらやましい。もし督君本人や観客のみなさんにいらぬ誤解を与えたとしたら万死に値する。重ねて言うが高橋督君は優秀な演奏家である。
さてこれから書くことは世間一般で言うところの「打ち込みサウンド」についての服部の考えである。前述のリンクで督君も同じようなことを書いているが、緻密に打ち込めば打ち込むほど「自分が弾くスペースが無くなっていく」。自分の弾くスペースを予想しながら打ち込むことは当然可能なのだが、結果としては予想以上にも以下にもならない。本番で「やっちまった」という結果にならないのはプラスのように考えられなくもないが、「気合い入れて弾いてもたるんで弾いても結果はそう変わらない」という状況に慣れてしまうと演奏者としてレベルアップは望めない。「気を抜いたらとんでもないことになる」という状況が実演には必要なのである。
もちろん「打ち込み」は敵ではない。音楽表現のスパイスとして重要な手法であるが、しかし鍵盤奏者として、そこに溺れてはいけない、と常々考えている。結論は出ないが。
| 音楽雑感 | 21:25 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑
あの時のサウンドは彼そのものだったように感じます。
私もあの楽器は多少心得があるので、あのサウンドを出すのにどれだけの「打ち込み」が行われたか、どれだけの演奏が行われたかよくわかります。
どのプレーヤーも素晴らしいのですが、そんな中でも彼の「演奏」は印象に残るものでした。
打ち込みだろうがマニュアルによる演奏だろうが、追い求めている音楽を再現できる素晴らしいセンスを持っているキーボードプレーヤーの存在はいつも自分に刺激を与えてくれています。
| richard | 2010/08/23 00:05 | URL |