2011.01.03 Mon
宮川泰が偉大だと再確認
「SPACE BATTLESHIP ヤマト」という映画を見てきた。言わずと知れた「宇宙戦艦ヤマト」の実写版リメイクである。
私は1968年生まれなので、アニメの初代ヤマトのブームの最中に小中学生時代を過ごしたことになる。「さらば宇宙戦艦ヤマト」は劇場で見た。「完結編」と「復活編」はまだ見たことがない。ここ10年前にケーブルテレビを導入して以来、時折アニメを見返したりしている。自らの出自はそんな感じとして、今回の実写版ヤマト(以下実ヤ)観賞の感想を書きたい。核心には触れないように書くつもりだが、人によってはネタバレと感じる部分もあるかもしれないのでご注意いただきたい。
さて、なぜレコーディング日記なのに映画の感想を書くのかと言うと、実ヤ、見るべきものは音楽だけだったからだ。それも佐藤直紀のスコアではなく、宮川泰作曲によるテーマソングと挿入曲である。何をどうあがいても、ヤマトのクライマックスには「あの曲」が流れていないと盛り上がらないのだ。やはりあの2曲は偉大である。ただしそのオーケストレーションは、宮川のホルンなどの中域の金管楽器をメインに組み立てられていたそれとは違って、ひたすらストリングスが美しくヒリヒリ言うものが多かった。最初に気付く違和感がまずそこである。
映画そのものは前半の1/3はすごく良かった。なぜかと言うと橋爪功扮する地球防衛軍長官と山崎努扮する沖田十三が主に芝居を引っ張るからである。若い俳優が画面にたくさん出てくると少々ツライ。昨日偶然にアニメイト編集のヤマトロマンアルバムとかその辺のムックに収録されているスタッフインタヴューを読んだのだが、複数のスタッフが何度も何度も「主役はヤマトですから」と言っているのが印象的であった。逆に言うと実ヤは全く逆なのだ。一生懸命人間ドラマを描こうとしている。だが監督自家薬籠中のVFX「も」見せたいので、なんだかどの場面も中途半端な掘り下げ方なのだ。極端に言うと、「すでにヤマトのお話は知ってるでしょ?」という前提でドラマが進む。知ってる我々のような人間は西田敏行扮する徳川機関長というだけで期待できるし、クライマックスで進化形とも言える形態のアナライザー(声:緒方賢一だがオートチューンをかけられていてよりロボットくさい加工がされている)の登場にも(疑問は感じつつ)興奮することもできるのだが、なぜ古代進と森雪が恋人同士になるのかとか、なぜ古代と徳川が知りあいなのかというあたりは「知ってるだろうから描きません」的な端折られ方なのである。古代と徳川の因縁なんてオレは知らないよ!
もっともアニメのヤマトだってそれは同じだ。皆が送り手の舌足らずな部分を空想で穴埋めしてあげていたのだ。実ヤへの突っ込みどころは散々金をむしり取られてきた西崎義展作品時代の作品たちと寸分変わらない。脚本のあらすじはファーストシーズンとさらばのごった煮で、名ゼリフがバンバン出てくる。だが後半に向かうほど違和感が増す内容で、それらの名ゼリフも色褪せてしまう…。
wikipediaで読むと、脚本家は監督の奥さんだとか。デビルマンかよ!
私は1968年生まれなので、アニメの初代ヤマトのブームの最中に小中学生時代を過ごしたことになる。「さらば宇宙戦艦ヤマト」は劇場で見た。「完結編」と「復活編」はまだ見たことがない。ここ10年前にケーブルテレビを導入して以来、時折アニメを見返したりしている。自らの出自はそんな感じとして、今回の実写版ヤマト(以下実ヤ)観賞の感想を書きたい。核心には触れないように書くつもりだが、人によってはネタバレと感じる部分もあるかもしれないのでご注意いただきたい。
さて、なぜレコーディング日記なのに映画の感想を書くのかと言うと、実ヤ、見るべきものは音楽だけだったからだ。それも佐藤直紀のスコアではなく、宮川泰作曲によるテーマソングと挿入曲である。何をどうあがいても、ヤマトのクライマックスには「あの曲」が流れていないと盛り上がらないのだ。やはりあの2曲は偉大である。ただしそのオーケストレーションは、宮川のホルンなどの中域の金管楽器をメインに組み立てられていたそれとは違って、ひたすらストリングスが美しくヒリヒリ言うものが多かった。最初に気付く違和感がまずそこである。
映画そのものは前半の1/3はすごく良かった。なぜかと言うと橋爪功扮する地球防衛軍長官と山崎努扮する沖田十三が主に芝居を引っ張るからである。若い俳優が画面にたくさん出てくると少々ツライ。昨日偶然にアニメイト編集のヤマトロマンアルバムとかその辺のムックに収録されているスタッフインタヴューを読んだのだが、複数のスタッフが何度も何度も「主役はヤマトですから」と言っているのが印象的であった。逆に言うと実ヤは全く逆なのだ。一生懸命人間ドラマを描こうとしている。だが監督自家薬籠中のVFX「も」見せたいので、なんだかどの場面も中途半端な掘り下げ方なのだ。極端に言うと、「すでにヤマトのお話は知ってるでしょ?」という前提でドラマが進む。知ってる我々のような人間は西田敏行扮する徳川機関長というだけで期待できるし、クライマックスで進化形とも言える形態のアナライザー(声:緒方賢一だがオートチューンをかけられていてよりロボットくさい加工がされている)の登場にも(疑問は感じつつ)興奮することもできるのだが、なぜ古代進と森雪が恋人同士になるのかとか、なぜ古代と徳川が知りあいなのかというあたりは「知ってるだろうから描きません」的な端折られ方なのである。古代と徳川の因縁なんてオレは知らないよ!
もっともアニメのヤマトだってそれは同じだ。皆が送り手の舌足らずな部分を空想で穴埋めしてあげていたのだ。実ヤへの突っ込みどころは散々金をむしり取られてきた西崎義展作品時代の作品たちと寸分変わらない。脚本のあらすじはファーストシーズンとさらばのごった煮で、名ゼリフがバンバン出てくる。だが後半に向かうほど違和感が増す内容で、それらの名ゼリフも色褪せてしまう…。
wikipediaで読むと、脚本家は監督の奥さんだとか。デビルマンかよ!
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| 音楽雑感 | 15:11 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
あけましておめでとうございます。
ヤマト、私の家でも流行ってます。年末年始にかけてスカパーで連続放映中、息子がはまって、「宮川泰は偉大だ」と言っています。
初期のころのものは、映像を見ないで聴いていると、「NHK電子音楽スタジオで録ったのか?」みたいな電子音楽にも聴こえて今更ながら感動。私は999派だったので、新鮮に観ていますが、実は妻ヤマト派だったらしく、妻母がサントラのテープを実家から掘り出してきたり。私の一番はあのスキャットの曲だなあ。
| masa.s | 2011/01/05 08:37 | URL |