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暁スタジオ レコーディング日記

ミュージシャン服部暁典によるレコーディング、ライヴ、機材のよもやま話

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阿ってません

昨日の「自衛隊ファミリーコンサート」についてのエントリーに書き落としたことがあるような気がして…。ファミリー向けコンサートなのに曲目が一見ファミリー向けではないように思われた。が、それはあまり問題ではない、という話。

大前提として観客も演奏者も前情報無しに一期一会の現場であるとして。ファミリーコンサートとして演奏曲目を「子ども向け」にするというのはひとつの方法である。というか、大抵はそうするもんだと思われている節がある。だが私はそうは思わない。例えば子ども向けだからと言って有名なアニメソングを演奏する。すると子どもたちは直感する。「自分がいつもテレビの前で聞いているあの演奏と違う!」。もっと言えば着ぐるみショーだって同じだ。「あれはアソパソマンじゃない!」。気付いて当然、子どもは大人が思った以上に「素」なのだ。言い換えれば純粋。違うもんは違う。だが演奏し終わった大人は言う。「は~い、みんなにお馴染のアニメ、アソマソマンのテーマ曲でした~」。

子どものためのコンサートだから子どもが知っている曲を演奏しよう、という発想は間違っていないと思う。これが老人ホームの慰問コンサートでも本質は同じだ(実際にはちょっとだけ違うと思うが)。こと子どもと対面する場合、問題は「子どもに阿って(おもねって)いるか」どうかが問題なのではないか。阿るとは大辞泉によると「人の気に入るように振る舞う。へつらう。「上役に―・る」」とある。阿っちゃだめなのか。私はその時の演奏者に「その曲を演奏する必然性」が必要だと思う。「子ども向けコンサートだから子どもの知ってる曲をやろうよ」という考えは「必然」に足りない。その考えの先にあるのは「お仕事」という感覚である。

ま、一流のプロは「お仕事」も素晴しい演奏をするのだろうが。逆に言えばお仕事をお仕事に感じさせないことが一流の条件のひとつだとも思う。それはともかく…。

子どもはそのあたりの違い、「やりたいから演奏する」「お仕事だから演奏する」を感じ分けると思うのだ。昨日の我々の演奏には対観客への「お仕事」という感覚はなかったという自負がある。楽しいからこの曲を演奏したいという大前提があった。ミュージシャンがやりたい曲をエンターテイメントとして演奏する態度は「誠実」だと思う。※「阿る」ことと「誠実」であることは一見見分けにくい。誠実なことには「相手を尊重する」態度が不可欠だと思うからだ。だが尊重した結果自己が犠牲になるのはお互いにベストではない。昨日の我々の出発点には「みんなを楽しませよう。そして自分たちも楽しもう」という大々々前提があった。そしてステージの上ではそれを真剣に実行したと思う。だから問題無かったと信じている。いきなり英語歌詞の歌でもポルトガル語歌詞でも、問題無かったはずだ。まったく独りよがりな結論に読めるかもしれないが、だから昨日の私はステージ上で幸せだった。以上。

※ミュージシャンがただ単に自分たちが演奏したい曲を演奏するだけでは誠実ではない。その選曲の視点に「観客を楽しませる」ことが含まれているかどうかがエンターテイメントとの分かれ目だと思う。さらに言えば「完璧に観客を楽しませること」の達成だけを目標に演奏する、という視点・態度も当然あり得ると思う。例1:サイキックラバーが実際にライヴで戦隊モノのテーマ曲を演奏すること 例2:ラスベガスなどのホテルで繰り広げられる、秒単位で毎晩同じ内容のショー
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| 音楽雑感 | 10:19 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

やっぱ、服部さん、スゲエわ。

| みい | 2011/12/21 23:03 | URL |

◇みい様
たまに演奏するたびにすごい人とばかりやらせていただくので、時々こういうことを意識しないと本当に「虎の威を借る狐」になってしまうのであります。ありがとうございます。

| acatsuki-studio | 2011/12/24 23:05 | URL |















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