2012.01.04 Wed
VOCALOID作品を聴いて思ういくつかのこと
小学5年生の娘が初めて自発的にCDを買った。ボカロもの。まさか我が家にVOCALOIDをネタにしたCDが持ち込まれる日が来ようとは毛の先ほども想像できなかった。想定外とはまさにこのこと。

普段から娘が「ボカロボカロ」と騒いでいるので、YouTubeにアップされているお気に入りの楽曲を年末年始に教えてもらい数曲聴いてみた。ものに拠っては確かに人間が歌っているものと区別しにくいものもあり、プログラミングのスキル次第という側面はあるものの、より人間らしく聞こえるかどうかは結局スムースなメロディであるかどうかに係っているという印象である。
VOCALOID作品と言えば、女声によるほぼあり得ないような高音域のメロディをブレスレスで歌うという印象があり、この1点からだけでも「こんなもの音楽じゃねぇ」という乱暴な思考停止が私の中にあったのだが、道具は常に「使い様」。これはこれでアリなんじゃなかろうかという優しい気持ちに今はなっている。
しかしこのVOCALOID作品を聴いて思うことがみっつある。ひとつは音声合成プログラムに一生懸命「人間らしさ」を吹き込もうと努力している人がいる一方で、生身の人間の歌にエフェクタをかけてロボットっぽくする処理が流行っているという矛盾。いずれも根源は「本来そうなるはずじゃない音源をどうにかして裏切って聴かせたい」という欲求であろう。技術的にはとっくの昔に「ケロリ声はボカロでやれば済むじゃん」に達していると思う。VOCALOIDは楽器なのか単なるおもちゃなのか。ただ意外性だけを追求しているうちは歌手の偽者でありおもちゃである。さらに言えば意外性は蔓延すれば意外じゃなくなる。
もうひとつは「生身の歌い手とコミュニケーション無しに歌モノを作ることができてしまう」ということ。少なくとも個人的には音楽は他者との接点であり、人との意見交換を経ない演奏や音楽作品にはあまり興味が持てない。DAWとシンセとサンプラーとボカロがあれば望みどおりの音楽が作れるということは、ある人にとってはこの上ない福音かもしれないが、私にはそれが幸せなことだとは思えない。
最後はVOCALOIDで表現できる範囲でしか曲作りできない人が増えるのではないかという懸念。VOCALOIDは歌手のある一面をシミュレートはできるが、感情表現ができるわけではない。歌手の感情表現はあまりにも多彩過ぎる。だが今後はともかく、現状のVOCALOIDでは音楽的感情表現は非常に初歩的なものに限られる。同時にこれは前述の「生身の歌い手とのコミュニケーション」という話とも呼応する。生身の歌手を相手に自作曲を表現させるというのは相当にエネルギーのいる仕事である。それを嫌って、本来頭の中で鳴っている音を犠牲にしても、プログラムで表現できる範囲に自作曲を歪曲してしまう内気な人もいるかもしれない。
そうやって作られた曲に人の心を動かすエネルギーが宿るだろうか。小学生という感性の柔らかい時期に音楽力の低い作品を聴いている娘の音楽的感性の行く末が心配だが、当の親である私の音楽力が大したことないので強く言えないでいる。

普段から娘が「ボカロボカロ」と騒いでいるので、YouTubeにアップされているお気に入りの楽曲を年末年始に教えてもらい数曲聴いてみた。ものに拠っては確かに人間が歌っているものと区別しにくいものもあり、プログラミングのスキル次第という側面はあるものの、より人間らしく聞こえるかどうかは結局スムースなメロディであるかどうかに係っているという印象である。
VOCALOID作品と言えば、女声によるほぼあり得ないような高音域のメロディをブレスレスで歌うという印象があり、この1点からだけでも「こんなもの音楽じゃねぇ」という乱暴な思考停止が私の中にあったのだが、道具は常に「使い様」。これはこれでアリなんじゃなかろうかという優しい気持ちに今はなっている。
しかしこのVOCALOID作品を聴いて思うことがみっつある。ひとつは音声合成プログラムに一生懸命「人間らしさ」を吹き込もうと努力している人がいる一方で、生身の人間の歌にエフェクタをかけてロボットっぽくする処理が流行っているという矛盾。いずれも根源は「本来そうなるはずじゃない音源をどうにかして裏切って聴かせたい」という欲求であろう。技術的にはとっくの昔に「ケロリ声はボカロでやれば済むじゃん」に達していると思う。VOCALOIDは楽器なのか単なるおもちゃなのか。ただ意外性だけを追求しているうちは歌手の偽者でありおもちゃである。さらに言えば意外性は蔓延すれば意外じゃなくなる。
もうひとつは「生身の歌い手とコミュニケーション無しに歌モノを作ることができてしまう」ということ。少なくとも個人的には音楽は他者との接点であり、人との意見交換を経ない演奏や音楽作品にはあまり興味が持てない。DAWとシンセとサンプラーとボカロがあれば望みどおりの音楽が作れるということは、ある人にとってはこの上ない福音かもしれないが、私にはそれが幸せなことだとは思えない。
最後はVOCALOIDで表現できる範囲でしか曲作りできない人が増えるのではないかという懸念。VOCALOIDは歌手のある一面をシミュレートはできるが、感情表現ができるわけではない。歌手の感情表現はあまりにも多彩過ぎる。だが今後はともかく、現状のVOCALOIDでは音楽的感情表現は非常に初歩的なものに限られる。同時にこれは前述の「生身の歌い手とのコミュニケーション」という話とも呼応する。生身の歌手を相手に自作曲を表現させるというのは相当にエネルギーのいる仕事である。それを嫌って、本来頭の中で鳴っている音を犠牲にしても、プログラムで表現できる範囲に自作曲を歪曲してしまう内気な人もいるかもしれない。
そうやって作られた曲に人の心を動かすエネルギーが宿るだろうか。小学生という感性の柔らかい時期に音楽力の低い作品を聴いている娘の音楽的感性の行く末が心配だが、当の親である私の音楽力が大したことないので強く言えないでいる。
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| 音楽雑感 | 18:28 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
私も過去のブログで関連記事を書いています。
http://suzumasa1969.blog.fc2.com/blog-entry-44.html
この作品は作曲者の実験的なもので、ブログでの公開のみだと思いますが、私はこれを聴いて「自分も買おうかな」と気持ちが揺らぎ?ました。ハーモニーがすばらしすぎるのでどうしてもそちらに耳がいってしまい、声だけ聴くととやはり機械的な印象が残るのかもしれませんが、別なところで作曲者が「ヴォカリーズさせるのに苦労した」と書いていたので、それなりにいじった結果の音と思われます。
また、クラシック系の人たちはこんなこともやっているようです。
ドイツ語http://www.youtube.com/watch?v=s4ad3vj5G9U&feature=related
やラテン語http://www.youtube.com/watch?v=3yszwO1b8_g&feature=related
も歌える?ようです。
デモ音源作成用には重宝するかもしれませんね。
| masa.s | 2012/01/05 21:16 | URL |