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暁スタジオ レコーディング日記

ミュージシャン服部暁典によるレコーディング、ライヴ、機材のよもやま話

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OCT/PASS「方丈の海」音楽解説

何度かエントリーしているように、劇団Theatre Group OCT/PASSの作品「方丈の海」の音楽を担当した。2012年9月8日仙台公演が千秋楽を迎えたので、これまで自制していた音楽制作に関するあれこれを書いてみたい。長文になるので何回かに分けることにする。

芝居の感情的な感想をここに書くのは控える。力作だった。石川裕人という作家とその脚本を具現化する役者陣は幸福な両輪だと思った。もしくは箱と蓋だ。箱と蓋がしっかりしているから美術でも音楽でも大概のものが収まってしまう。今回の作品は、幸福な両輪が付いたOCT/PASSという劇団の向かう先を再定義するような内容とパフォーマンスだったと思う。鎮魂であり、エールであり、覚悟表明であり、エンターテイメントだった。当事者からの批判を恐れず、またどんなに泥臭いと思われようとも、こういう表現を奇を衒わずに表出させる石川裕人という人はすごい人だと思う。

表現に携わっているという自覚のある人は、本来こうあるべきなのではないかと思わされた。

■音楽制作のアプローチ
脚本を読んだら、私の読解を基に自由に音楽を作る。OCT/PASSの主宰者石川裕人さんの作品にはムードやテーマが必ずある。この脚本が言いたいことは何か。それはつまり作品のコアにあるテーマなどと呼ばれるものだ。そのテーマを掴んだら、あとはそれだけを頼りに曲を作り弾く。脚本に書かれている「ここで音楽」などのト書きはほぼ無視する。テーマは言うなれば球体であり、その球体がどのように見えるかを裕人さんは芝居の脚本で表現し、私は音楽で表現するだけのことだ。

ただし同じ球体だとしても見え方も距離感も異なる。異なったまま舞台で一体化させることによって、作品に関わる価値観が多層化する。観客はそれぞれ勝手に、その層の距離、厚みを埋めよう、縮めようと努力してくれるはずだ。その努力こそが観客と作品との同化であり、一体感だと思う。極端な話、悲しい場面で悲しい音楽を流しては「悲しい出来事」以外に解釈のしようが無い。そこには「考えなくてもわかっちゃう」という安寧が生まれ、観客と作品の距離は(わかりやすく表現しようとする努力と裏腹に)より離れてしまうと考える。

ここ数作におけるOCT/PASSへの音楽制作の私のアプローチ、スタンスは基本的に同じように制作している。

このように書くとエラく理屈っぽく小難しく考えているように聞こえるかもしれないが、要は脚本を読んで「これがキモだな!」というものを得られたら、あとは好き勝手に音楽を作っているだけなのだ。裕人さんにも「できたから聞いてください」だし、OKが出れば「あとは好きな曲を好きな場面で使ってください」で終わり。お渡しした後の私は単なる観客。舞台の上で繰り広げられる役者の動きと自分の作った音楽の距離をひたすら楽しむという極楽。
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