暁スタジオ レコーディング日記

ミュージシャン服部暁典によるレコーディング、ライヴ、機材のよもやま話

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責任があります

一般的に言って、年齢の上で40代と言えばある程度の経験と技術を持っているだろう。ベテランなどと言われることすらあるかもしれない。その評価が正しいかどうかはともかく、10代と40代の考え方や表現の仕方は違うものだし、それは良い悪いでくくれない問題でもあると思う。極端な話、10代で演奏するロックと40代で演奏するロックではあらゆるものが違うはずだ。そういうことである。

音楽以外の分野でも同じようなことがあるはずだ。例えば現代アートの分野で活躍する60年代生まれの作家の作品を見たりする。すると自分の音楽についても何がしか思うことがある。それは「オレもがんばらなきゃなぁ」というエネルギーだったり「やれやれ。大変だなぁ」という気持ちであったりするのだが、自分を前に進めようとするモチベーションのひとつであることは間違いない。そうして作品に与える重みだったり力だったり風格だったりするものが、それら前線にいる人たちと同じように自分の音楽に備わっているだろうか、とも考える。「40代なら身に付けているべき経験と技術」が今の自分にあるだろうかと考えると、能天気にYESとは答えてばかりいられない。

数年前まで、自作曲を公に発表する場合、明確に自分なりの基準があった。それは「自分の死後30年以上経過して、メロディ譜だけが発見されたとして、服部暁典を全く知らない誰かが演奏してみようと思ってくれる曲」だった。今現在ジャズスタンダードとして演奏されている曲を思い浮かべていただければ分かりやすいかもしれない。つまりは良いメロディとハーモニーさえあれば、どういうアレンジをまとっても曲は生きていける。メロディは骨、ハーモニーは皮膚。それさえしっかりしていれば、あとはどう演奏しても人物(=曲)を特定できると思う。そういう曲を作りたいと思ってきた。

「経験と技術」があればそういう曲が作れるかと問われれば、哀しいかな否と答えざるを得ない。が、まじめに音楽に向きあって得た「経験と技術」があれば、生まれたてのその曲が基準を満たしているかどうかは判断できるものだ。こうしてますますハードルは高くなって行く。そのことに気付いてしまった以上、表現者として音楽に対して何かしらの責任を負わざるを得ないということを強く感じる。今音楽の前線にいる40代半ばの同志諸君(と勝手に呼ばせていただくが)も、言葉は違えど同じようなことを感じているはずだ。

なんともシンドイことだが、知ってしまったら知らないふりはできないのだ。
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| 音楽雑感 | 22:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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